モロッコでの生活、ほんで商売?


by keibunkin

カテゴリ:モロッコ( 50 )

満天の星

今日はオフィスの改装を手伝ってくれているおじさん(名前はしらない)の家で夜7時の朝食を呼ばれる事になった。
夜7時の朝食っていうのは、9月の月曜日からラマダンが始まって朝4時から夜7時まで水も食べ物も口にしてはならない事になっている。なので夜の7時が彼らの朝食となる。もちろん私は例外で、朝ご飯も昼ご飯もしっかり食べてその上ビールも飲んでいる。外国人の特権だ。相棒のモロッコ君も全然信仰心がない数少ない反ラマダンの1人。昼間は二人家に隠れてこそこそと食べている。彼が食べてる所を見られると嘘ではなく本当に牢屋行きになるらしい。
さて、買ったオフィスの大きさは約450sqf。玄関パティオが150sqfあって実質300sqf、それと別に地下450sqf付いている。 私達は1階をオフィスにして、地下をとりあえずの寝床にすることに決めた。地下といっても天井が2mしかないので床のコンクリートを剥がし40cm掘って天井を高くする事に。それとなくてはならないトイレシャワーも設置することにした。トイレを付けるとなると下水道を繋げなくてはいけない。トイレが地下にあって政府の下水道管だと位置が高すぎるのでなんと井戸を掘る事になった。
「井戸?」
肥だめじゃないけど、3mの井戸を掘ってここに汚水を流し込むというのだ。ここではそんなの普通なんだって。
工事費用についてモロッコ君と2人、業者や知り合いの人に値段を聞いて回った。外国人の私を見てみんな結構な値段を吹っかけてくる。15000ディラン、13000ディラン。中に1人むっちゃ安い値段をくれたのがこのおじさんだ。地下400sqfの床を40cm掘るのと井戸を掘るので6日間、費用は1500ディランと来たもんだ。(1ディラン=1HK$)
おじさんの見かけを説明すると色濃い顔に深い皺、身長160cmぐらいの身の丈に、元の色が何色だったのかわからない色褪せた埃っぽいシャツとパンツを履いて、ボサボサ頭に野球帽、年齢はたぶん50歳ぐらい。一瞬見てすぐ判るバリバリのブルーカラー労働者だ。
設計図なんて絶対ないし、本間に任して大丈夫かと心配になったが、過去に数えきれないほど井戸を掘った名人と聞いてとりあえずお願いする事にした。

翌日、おじさんはツルハシ1本と水筒を一本持ってきた。
ツルハシ一本?
道具はこれだけ?と目を丸くする私。「本間かいな?なんとでもやってくれ」と私も半分やけくそ。
そやけど、見る見るうちにツルハシ一本でコンクリートの床をガンガン潰していって、あっというまに砂の山を作っていった。
「すっげえー!」
翌日、助っ人も2人ほど連れてきた。見ると10代の子供二人。(後で聞くとこの二人はおじさんの息子らしい)6日間昼間は飲まず食わずで本当に床40cmと井戸を掘ってしまった。捨てた砂利ゴミはトラック6台分。見上げたもんだ。途中私も少しは手伝ったけど、1時間でクタクタ。ツルハシは重い、シャベルも重い、トンカチもむっちゃ重い。おかげで私の首は痛くて回らなくなった。
おじさんと子供達の勤労ぶりを見て、更に仕事をお願いする事にした。コンクリート敷きと壁作り。おじさんは壊すだけではなく作ることもできるという。
日当200、2人の瘤付きで一週間で1400ディランで雇う事になった。

そして今日、地下で一生懸命石を削っている私にクスクスを作るから今晩夜7時家に食べおいでと誘ってくれた。お言葉に甘えて材料は持参するのでその招待を受けることにした。

夕方モロッコ君と二人でおじさんの家に行ってきました。みんなお腹を空かせて待たせては悪いと6時45分に到着。おじさんの家はタブン通りから1キロ離れた丘の上にあって、コンクリートブロックを2m積み重ねた700sqfの土地に屋根付きの部屋が一つあった。中は見てないけどその中にキッチンとトイレがあると私は想像。中庭に、といっても屋根が付いていないから中庭に見えるのだが、毛布(絨毯?)が4枚ほど敷いていあった。私もモロッコ生活が長くなり、そこがダイニングルームと直ぐに察知できるようなった。靴を脱いでその毛布の上に座る。コンクリートブロックに背持たれると昼間の太陽の温もりがまだ感じられた。子供2人が小さな茶托を運んできて、次から次と飲み物や食べ物を運んでくれた。ファンタオレンジみたいな奇抜いオレンジ色のソーダ水が1.5Lペットボトル2本。破れたラベルと年季が入ったペットボトルの具合からすると、自家製オレンジシュースっぽかった。それからコーヒが入ったティーポット、砂糖入りミルクが入ったプラスティック製茶瓶、コップが4つお盆に乗って運んでこられ、お皿に乗ったオレンジとリンゴがやってきた。
すごいおもてなしだ。
その他にラマダンの習慣だと思われる甘い小麦粉を揚げたお菓子やナツメグが出てきて、チョコレート入りデニッシュパンと平たい丸パンがでてきた。私はメインのクスクスがたくさん食べれるように、控え見に少しづつを頂いた。
日が暮れてきて、辺りはだんだんと暗くなり星がちらほら輝き始めた。ミルクコーヒを3杯ぐらいお変わりした頃には、すっかり暗くなっていて、満天の星空の下私達は乾燥した暖かい風に吹かれてただボーット毛布の上で座っていた。
クスクスは何時になったらくるんだろう。
辺りはかなり暗くなってきてる。迎えに座っているおじさんの顔も暗くて殆ど見えなくなった。ここには電気がないみたいや。一向に電気を付ける気配がない。おじさんの家族は妻、娘1人、息子2人の5人家族。毎晩の電気がない生活を少し想像してみた。ろうそくは付けるのだろうか?
暫くして長男がガス灯の用意を始めた。たぶんこれがガス灯と言うんだろう。私は初めてみるからそれがガス灯と呼ぶのか判らない。
小さめのプロパンガスの上に細い曲がった鉄のパイプが白鳥の首みたいに付いてあって、その先になんか紙みたいなもんが巻いてあった。その紙みたいな奴にロウソクで火をつけた。紙はゆっくり燃え始めてやがて消えかけていて、それが灯りの役目をするのか私には全然訳が分からなかった。モロッコ君は「It will be a very nice light.」と言うが、私には燃えかすがパイプを通って爆発するんではないかと心配になった。
(余談になるが一昨日、買ったばかりのガスコンロにプロパンガスを付けて火を付けてもらったら、バーンと大きな音が鳴って、モロッコ君の腕の毛が全部燃えてしまった。)
長男が起用に鉄パイプの先にぶら下がった燃えた紙をロウソクで炙っている。するとだんだん本間に白く光が出てきた。近くまで行って見るとさっきの紙はなんか白い鉄の網に変わって見た所電球みたいになってきた。へえ、凄いもんやなあ。
風が吹くとガス灯が消えてしまうので、コンクリートブロックの隅に置いた。さっきほど明るくなったのだが、明るくなっているのはその隅だけであった。
でもまだまだクスクスはこない。私達が着てから1時間は過ぎてる。やっぱりさっきのお茶菓子は朝食で、ひょっとして昼食になるまで時間がかかのかしら。
私は彼らの話す言葉が全然判らないので、失礼して毛布の上でごろんとなって流れ星を数える事にした。
透き通った空に星は大きい星から小さい星までざっと500個ぐらい見えた。さて、流れ星を数えようかなあと思ったら、今日は調子がよく直ぐに1個目が見えた。すーっと縦に上から下に約5cmほど白い線を引いた。流れ星を見るとむっちゃ幸せな気分になる。5分ほどニタニタしながら星を見ていた。そして退屈になったから寝る事にした。
暫くたって、クスクスがやってきた。みんな静かに黙々と食べる。でもさっきのパンとミルクコーヒとうたた寝とで空腹感がなくなってしまって、すぐにお腹が一杯になってしまった。
食べ終わると同時に私達はおじさんにお礼を言って帰る事に。
ここの家のすぐ横に電柱があって、そこから電気を引くのに3000ディランもするという。全く政府の税金泥棒。なんでまたそんな高い金額を付けるんだろう!
帰りの道でモロッコ君が「僕たちの商売が旨く行ったらおじさんの家に電気をつけてあげよう。」と言った。
空にはダイヤモンドみたいにでっかい星とクッキリ三日月が見えた。
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by keibunkin | 2008-09-07 01:40 | モロッコ

耳が聞こえない!

それはモロッコでの事だった。

シャワーの後、何気なく綿棒で耳を掃除したときに、綿棒を取り出したら先っぽの綿が無くなっていた。冷やかしついでに行った夜のモロッコの病院で2時間ほど診療した結果「コットンなんか耳に入ってないよ。綿棒を引っこ抜いた時に先っぽの綿はきっと床に落ちていたんだよ」と医者に説得させられた。塩化ナトリウム用水を耳の中に入れ、チャプチャプと掻き回された後、「はい治療終了。お代は60ユーロなり」と高い治療費を取られた。耳がそれで直ればいいものの、返って調子が悪くなった感じ。なんかぶったくられたみたいやなあ。

その後、医者の言った「何も耳の中に入ってない」事を信じ、2.3日が経った。そうすると耳の違和感もかなり慣れてきたのかそんなに苦痛を感じなくなってきた。

モロッコからマドリッドに向かった。そこでヨークと再会。しかし、私達またまた大喧嘩を。神経がピリピリしてくると耳の違和感も増してくる。耳の違和感があるからこそ、神経を逆撫でしているのかもしれない。ゲップや欠伸をする度耳がキリット痛くなる。片方ずつ手で押さえて自分の声を発生してみると、やっぱり一方の耳の聴力は劣っている。そうなるとだんだん不安も増してきて心細く なってきた。耳が変になったのは精神的なもんではないかとヨークを逆恨み。まったく精神不安定患者だ。保険もあることやし、もう一度耳を見てもらおうとマドリッドの医者に訪れた。

最初に行った病院には耳の専門医はいないと言われた。保険会社に再度確認して別の医者を紹介してもらった。電話でアポを撮り、耳の治療が出来る事を確認してから行った。

オフィスビルにある一室のクリニックだった。ドアを開けると受付もない応接室一つと診療室一つの小さいクリニック。診療室も言ってもデスクが一つと椅子がそのデスクの両サイドに向き合った家具しかない。まるで校長室のような普通の部屋だ。ドアを開けてくれたのは60歳ぐらい白髪白人におじいさんだった。ブリティッシュ英語を奇麗に話す如何にも教養あるスペイン人とお見かけした。しかじかこうこうと耳の経緯を話すと、漏斗の形をした 耳の中を見る黒い拡大鏡を取り出してきた。おお、さすがスペイン、モロッコと違い専門治療器具をお持ちで(と言ってもそれ一つしかない)。私ってモロッコの一回の出来事でかなり医者に不信感をお持ちのようで。

医者がじっと私の耳の中を見つめ言った「何も耳の中には入っていませんね」。
ここでもモロッコの医者と同じ事をいう。綿棒は耳かすを中に押し込む可能性があり、私の場合もきっと耳のワックスが奥まで詰まって聞こえ難くなっているんだろうと。年齢40を越すと耳のワックスが石のように固くなりなかなか取り難くなるらしい。綿棒は今後一切使わず耳用の洗浄剤を注入しゴロゴロと耳たぶを使って掻き回し2・3日後温いお湯で洗い流してくれと。診療後、医者は親切にも薬局に付いてきてくれてその薬を購入してくれた。お代は治療費を含めしめて67ユーロなり。

私は言われた通りその液体薬を耳の中に入れ暫くしてお湯で洗い流した。しかし何も変わらない様子。

そうこうしているうちにドイツに戻る。もう一度液体薬を耳の中に入れお湯で洗い流した。「何回やってもあかんやんけ」。これはやっぱりドイツが嫌いなんとヨークから来てる神経的なもんなんやと益々不安になってきた。

耳が難聴になると、人間本間に不安だらけになる。乗り物を乗っていても前以上に気分が悪くなる。タダでさえ小さな声のヨークがもっと聞こえなくなってきた。気分がすっきりしないと、喧嘩の数も多くなる。こりゃいかんとダメ元でもう一回ドイツの病院に行く事にした。

電話でアポを取ったが、一週間後とナースに言われた。そこをなんとかと強引に翌日にアポを入れてもらった。

受付に(ここは顔で採っている?と思わされそうな)奇麗なお姉さんがたが10人以上いた。マニュアルに忠実な礼儀正しい態度ではあるがマクドナルドで見られるようなスマイルは一つもなかった。

歯医者さんのような診療室に通された。業務用診療椅子の横に医療用デスクがありその上に七つ道具?(いやいやピンセットだけでも100種類あったかもしれない)大小形の違う色々な道具が奇麗にズラーッと正確に並べられてあった。

上下スーツになった白衣のドクターが登場。テレビERに出てきそうな俳優のようなドクターだった。「2週間も右の耳が聞こえ難い。ゲップや欠伸をすると痛い感じがする。液体洗浄剤を2度使ったが何も効果がない。モロッコとマドリッドで2回ほど治療を受けた。」と簡単明瞭に症状を伝えた。ふむふむとドクターは私の説明を聴き、「ではまず耳の中を拝見しよう」と私の右耳の中を拡大鏡を浸かった覗き込んだ。するとピンセットでニョキと取り出し私の目の前に見せてくれたのは2週間前に私が入れた綿棒の頭のコットンだった。まるで神隠しに会い行方不明になったコットンが警察に保護されて申し訳なく私の手元に返ってきたようなご対面。「きみ、いままで何処に行ってたの?」

たかが綿棒のコットン擬にしめて200ユーロ近く払った私。保険会社の人、払ってくれるのかしら。

でも世の中にはヤブ医者が結構いるもんだと感心したね。さっすがドイツのお医者さん、あっぱれなお手前でした。
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by keibunkin | 2008-07-01 13:40 | モロッコ
今日は二人で山に行く日。
7時半に待ち合わせしたけど、モロッコ君はまだこないな。
30分して、ホテルに迎えに彼はやってきた。
昨日寝たの?というぐらいむっちゃ眠そうな顔で登場。

えっらい仰山荷物を持ってきてるなあ。何入ってんの?
寒いと行けないから君のジャケットもセータも持ってきたよ。
(なんて、ええーやつ?うるうる)

てくてくとバス停まで歩いていく。途中ジャマエルフナ広場でオレンジジュースを飲む。グラス一杯入って3DH(20セント)。やっすいし、おいしいし、健康的やわ。

バス停までの道のり、ここでも警察の目を避けるため、私は距離を離して彼に付いていった。まるで女私立探偵、尾行してるみたいだわ。
バス停に着くと、あれっ、奇麗なおねえさんを発見。見つめると彼女も私を見つけて話しかけてきた。よく考えるとあのグランドホテルタジンのカウンターで働いていた子だわ。

「%ek^&gwdx,voke#(w$j@」
(興奮して話しかけてきたけど、私全然チンプンカンプンよ。)
偶然にも私達と同じバスなんだって。モロッコ君が通訳になってくれた。

5分後バスが到着。

さていよいよバスに乗る混むぞ。ここはちょっとモロッコ君に活躍してもらわな。彼は任務を判っており、ドアが空いた瞬間モロッコ君いきなり飛び込みポーズ。私とホテルタジンの姉ちゃんは後ろから押せど押せど中々なかには入り込めない。ドア寸前の所で右から左から割り込みされる。年老いたババアまでもがごっつい力で割り込んでくるくる。

10分後ようやく、バスの中に入れた。座席にはシラーっとした顔でおっさん連中が皆座っていた。モロッコ君、もちろん私とホテルタジン姉ちゃんの席を取っててくれた。頼もしいなあ!(みんな乗り終えるのに30分は掛かってる。皆並んで入ったらどんだけ早いか)

バス降り際、ホテルタジン姉ちゃんが家にランチを食べおいでと誘ってくれた。けど、山に行きたいから丁重にお断りした。

バスに乗る事約50分、降りた停留所からミニバスに乗って更に山道を約30分。
着いたわ着いたわ右も左も山だらけ。吊り橋を渡り、畑を通り抜け、人家の裏手を回り、そして上へ上へと昇っていった。途中ちびっ子共が崖の向こうから私ら見てなんか叫んでいる。たぶん「お前の母さんでべそー」、「ここまで着てみベロベロバー」みたいな事であろう。その内石までほってきた。崖の向こう側、約300mは離れてるなあ。ぜんぜん届かんと思って横見たらモロッコ君必死になって石ほりかえしてる。「お前はアホか、子供の相手なんかしなさんな。大人が投げたら子供がまた真似するやろ。」ほんま、どっちが子供やねん。

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山の頂点に来るとモロッコ君「やっぱ山の空気は最高だな。僕は本当は田舎に住みたいよ。」と言った。私は「モロッコくん、このくに何処行っても全部田舎やん」と思ったが言わなかった。昇りの急な山道、山道といっても道はなく適当に斜面にエッジを掛けながら上に上がって行った。行きがよいよい帰りが怖いと言うが、昇っていくのは良いのだが下りがだんだん心配になってきた。頂上は諦め、この辺で下るとすることに。ほとんど尻餅をつきながら降りていく羽目に。靴に一杯砂を入れてようやく麓まで辿り着いた私達。村のちびっ子達が集まってきて、我れ先と帰り道を教えてくれた。

近くの村に到着。ここで私はハモン(銭湯)に行った。なんとモロッコに韓国垢擦りがあったのよ。入り口(男女別)でお金を払う。その時垢擦り用のミトンとオリーブでできたジェリー状石けんを購入。中に入り服を脱ぐ。そして浴室に入っていく。中は蒸気がムシムシして、子供のはしゃぎ声が聞こえる。大きな部屋(スカッシュコートサイズ)が二つ。大きなバケツが何十個とあちらこちらにある。女の人はそのバケツで蛇口からお湯を汲みながら自分の縄張りに持っていきそこで身体を洗っている。私はマッサージ(垢擦り)をお願いした。ヘソまである二つの萎んだスイカをゆらゆらさせながら上半身裸の黒パン一丁のおばさんが(推定50歳、本間は30代?)が上手なジェスチャーでここに寝ろと私に命令。ほんで手の平から始まって、首筋、胸、お腹、脚を垢擦りミトンで洗ってくれた後、秋刀魚のように裏返しされ、背中、お尻、脚と洗ってくれた。顔までゴシゴシ洗ってくれて顔の毛細血管が切れるのではないかと少し心配した。快適じゃー、モロッコに垢擦りがあるなんて、ここで一生暮らせるかも!

お風呂の後、二人してマラケッシュに戻る。

夕食はジャマエルフナ広場にて。広場じゃ蛇使いだの、漫才師だの、曲芸師だの、ゲイのの腰振りダンサーだの色々な出し物があり、その出し物の回りを人の円が取り囲んでいた。私とモロッコ君は一つの円に入ってみた。

背の低い(150センチ)白髪短毛のおっちゃんがこれまた半身裸でたっていた。顔はクチャおじさんみたいな顔だった。何をするのかまだわからない。神経質っぽく回りの人の円を調整してみているようだ。君はこっちにもう少しよって、君は少し後ろに下がって。そんなに大それたパフォーマンスをするのか乞うご期待。私の目と目があって、おっちゃんは私に一番特等席といって、円の中に座らせてくれた。それからおっちゃん、自分のジーズンを脱ぎだした。全裸かいな!と思いきや下にパンツを穿いている。それも雑巾みたいな薄汚れた茶色のパンツだった。パンツの紐を結び直して、また円を調整している、前置きが長いなあ。その時、バイクに乗ったお兄さんが円の中をバイクを噴かして横切っていった。人並みに会って中々前に進めない状態。それを見たクチャおじさん、気に入らなかったみたいでそのバイク野郎にイチャモン付けに行った。付けに行ったと言うても負け犬の遠吠えのように、遠くから「どこに入ってきよるんじゃ。おらー、逃げんのかカス、かかってこんのかボケ」とホザイているように見える。バイク野郎も黙っていない。売られた喧嘩、勝ってやろうじゃんかとバイクを止め、クチャおじさんの所に戻ってくる様子。回りの人ごみも「ええやんけ、忘れてやれや」と引き止めてるが、クチャおじさんが更に「何処からでも掛かってこい」と岡八郎ポーズを取ってる。一旦帰ろうとしたバイク野郎もまるでその言葉に吊られたように、また引き返してきた。私らもうかれこれあんたのパフォーマンスを見るのにこんなに待ってんねんで、ここで喧嘩されてパフォーマンスが見られへんなったら、面白しろないやんけ。と思い、私はモロッコ君に「喧嘩とめてきて」という。

モロッコ君、さっそうとクチャおじさんとバイク野郎の間に入る。おお、すごいやんけ。なんとかバイク野郎を言い宥め円の外に追い出す。こうなったら私も座ってる場合じゃないわ。私の色気でクチャおじさんを落ち着けさせないと。(なんちゃって)と立ち上がってクチャおじさんの側に寄り、まあまあまあと機嫌をとる。しかし、負け犬の遠吠え同士がシーソのように行ったり来たりしてるのも、だんだんあほらしく覚え、モロッコ君を連れてその円からでることにした。
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喧嘩するんやったらとっととしろよ!

気分を取り直して私達二人はバーに入る事に。このバーはモロッコ君の従兄弟のヤーヤーのお勧めのバーだそうな。

入ると、そこにはカラオケマシーンがあった。
ひぇー、誰か歌うたうんかいなあ。(私苦手やのよ)

奥のテーブルに座ってビールとヴォッカトニックを飲んだ。暫くすると歌手がきた。(よかった素人のカラオケじゃなかったんやわ)。歌手が演歌を歌いだした。(ひぇー演歌バーやったんや)。でもモロッコ君超ご機嫌。私に踊ろうと誘ってきた。演歌じゃおどれん。「私踊れないの。あなた踊りなさいよ。」と言ったもんだから、彼本間に踊りだした。ひぇー。

モロッコダンス、肩を前後にフリフリしてる。インドのクビ振りダンスと似てる。歌もなんとなくインドの演歌に似てるような気がする。

で誘われて私も踊ってしもた。ええい、こうなったら成るようになるわい。ヴォッカトニック駆けつけ3杯よ。旅の恥の掻き捨てとはよう言った。

これ以上踊れんと演歌バーをでることに。私のホテルまで歩いて送ってくれる事に成った。まあ断っても聞いてくれへんから素直に送ってもらうわね。

途中、従兄弟のヤーヤーが現れた(何処からでも現れてくるなあ)。3人で道路を歩いていた。で何処からか誰が駆けっこが早いかという話になった。言ってる最中にもう私とモロッコ君は走り出している。「向こうの道路までどっちが早いか!」見ると約300mぐらいはあるな。全力疾走で走る私。負けてたまるかとおばちゃんおもいっきりダッシュ。これでもかこれでもかと二人は殆どタイ。道路に付いた時点で私はスローダウン。それなのにモロッコ君はまだ前に全力疾走。振り向いて「僕の方が早い」と言うたとたん、前にあった木にぶち当たってしゃがみ込む。ギャはははあと笑って駆け寄る私。あほちゃうかあ、道路までっていうからそこで終わってるやんか。と彼の顔を見ると額から血がダラリ。あれまあ、笑ってる場合じゃないわと笑いを堪える私。「大丈夫?」と心配そうに聞いた物の心の中ではまだ笑ってる。でも全然大丈夫じゃない。痛いと辛そうに我慢しているモロッコ君。そしてヤーヤーが来た。よく見ると瞼の上が切れてるやんか。「あらまあ、病院に連れて行かな」と慌てる私。ヤーヤーが覗き込んでまるで子供をあやすように「大丈夫大丈夫、小さい怪我だよ、なんてことない、心配しないように、痛くないよー」とティッシュで血を拭いてくれた。

どう見ても、面白い話やないの。こんなんおらんで。駆けっこ競争して木に頭をぶつける奴なんて。 

翌朝、律儀にもホテルに着てくれてお別れの挨拶をしてくれたモロッコ君。顔に3つ4つ赤く傷跡が残っていた。

私はなんとなくこれ以上モロッコに折れへん方がいいのだと思い、急遽モロッコを離れる事に決めた。
短い間でしたがモロッコのええ思い出ができてよかったわ。モロッコ君に会えたのも良かった良かった。

狭い世間、またの再会を祈ってるよ。
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by keibunkin | 2008-05-26 03:13 | モロッコ
兄弟が9人、姉妹が4人、僕は真ん中で一番大きい兄さんが52歳、小さい弟が15歳だよ。父さんは商売人でねえ、いろいろ事業をやってるよ。息子はみんな父さんの事業を手伝ってる。娘は嫁にいくから別だけどね。

小さい頃学校に行かされた。でも僕はあんまり勉強が好きではなかったんだ。学校ではコーランばっかし読まされた。僕はコーランになんか全然興味がなかったんだ。だからある日学校の先生に「僕はコーランなんかに興味がない。もっと他の事を教えてくれよ。」って言った。先生はそれを聞いてびっくりした。怒って叱られた。放課後校長先生の部屋に連れられて行くと父さんがいた。先生が「今日学校でなんて言ったの?もう一度言ってごらん?」って言うもんだから、僕は「毎日コーランばっかりで飽き飽きした。僕はコーランに興味がないんだ。もっと色々な事を学びたいんだ。」て言ってやった。

家に帰ると父さんがズボンのベルトを外して僕を叩いた。母さんはそれを見て「やめて。」って泣いた。父さんは「そんなにめそめそするんだったら、お前も一緒に出て行け。」と言った。僕は母さんに連れられて母さんの母さん、婆さんの家に行った。学校も行かなくてよかったから楽しかったよ。でも2ヶ月経って僕は母さんに言ったんだ。母さん、家に帰りなよ。僕の為にずっとここに居なくていいよ。母さんは子供達のこを心配していたんだ。しばらくして、僕と母さんは家に帰った。

僕は学校にいかず、父さんの仕事を手伝った。色々やったよ。荷物を運んだり、書類を作ったり。車を運転したり。おかげでたくさんの人に知り合った。でも僕はやっぱり自由でいたかったんだ。僕の兄さんはみんな父さんの言うままだ。父さんの決めた人と結婚したんだ。父さんはある日僕に言った、「お前は父さんが決めた女と結婚するんだ。」僕は言った「父さん、ぼくは本当に父さんの事を悲しく思うよ。僕は兄さん達とは違う。父さんの言いなりなんかにはならないよ。」僕と父さんはやっぱり気が合わなくてね。ぼくは父さんの所から出る事に決めたよ。

女は14歳で知ったよ。ここでは男が成長すると女を買いに行くんだ。娼婦は一回2.5ユーロでやってくれる。モロッコの女性と付き合ったことはないよ。大変なんだ。結婚前提に付き合わないといけないんだ。僕の母さんは12歳の時に父さんと結婚した。僕の母さんは一度も父さんを愛した事がなかったんだ。子供の為に父さんと一緒にいるだけさ。

一度金に困ってセックスをした。税金を払わなくちゃいけなかったんだ。200ユーロもかかったんだ。ある女と知り合ったよ。女は70歳だった。女のアパートに行った。部屋の中に入って話をしたよ。僕はできると思ったんだ。女は服を脱いだ。女の裸を見て僕は思いとどまった。でも彼女は「お酒はたくさんあるわよ。ワインもウイスキーもなんだって。さあ、飲みなさい。」って僕に勧めた。結局やったよ。金ももらった。

アフリカの女優とも知り合った。彼女は有名だそうだが僕は知らない。彼女は結婚してるんだ。たぶん有名人とね。結婚生活がうまくいってないって。亭主も浮気をしてるんだって。彼女は僕を誘ってくれた。セックスもした。今度モロッコに来たらまたやろうって言った。

ある日道を歩いてると僕の横で車が停まった。父さんの車だった。僕を見て彼は言った「なんて格好をしてるんだ」。僕はその時長い髪をして、汚いシャツに破れたジーンズを着ていた。父さんが言った「お前には財産はやらん。わしの遺言書にはお前の名前はないからな」って紙を見せるんだ。僕は言ってやった「父さんの金なんて1セントもいらないさ」。

これまで父さんは僕を5回も刑務所にいれたんだ。僕が父さんの言う事を聞かないと怒って刑務所にいれるんだ。父さんは刑務所の所長と仲が良くてね。父さんの一言で所長は何でも父さんの言う事を聞くんだ。

僕は字があまり旨く書けない。学校に殆ど行かなかったから。父さんは学校は大事じゃないって。だから小さい頃から働かさせられたよ。でも父さんは金をくれなかった。彼はとてもケチなんだ。金はいっぱい持ってる。全部自分の商売に使ってる。母さんにも金をあげない。ハモン(銭湯)に行く金さえあげないんだ。

父さんが好き勝手な事してるのをずっと見てきたよ。女もいる。たくさんいる。母さんはそれを知っている。でも誰も何もいえなんだ。

僕は自分で車を買った。小さい車だけどね。父さんはびっくりしてたよ。父さん無しで僕は車なんて買えると思っていなかったからね。昔は父さんのベンツを運転していた。いまは小さなオンボロだけど、僕はずっとこっちの方が好きさ。僕の自分の車だからね。
マリファナもハーシーシもやったよ。でも辞めた。怪我したからね。事故にあったんだ。だからもうやらない。でもタバコは辞められないな。辞めたいとは思ってるけど。

父さんは今も頑固だよ。絶対曲げない。今年92歳だよ。僕は金ができたらい母さんと小さい弟を連れて一緒に暮らすんだ。母さんは僕と一緒に暮らしたいって言ってる。弟にはちゃんとした学校にいかせたいよ。

僕には彼女がいた。オランダ人のね。いっしょにモロッコで住んでいたんだ。ずっとホテルに一緒に暮らしていたんだ。 仕事も探してやった。給料が安いって、僕の給料もやったよ。僕は本気で彼女に惚れていた。彼女の為だったらなんでもしてあげた。1年一緒に住んでたけど、彼女は出て行った。オランダに帰ったよ。生活の違いだって言ってね。それから僕は女嫌いになった。

僕は歌が大好きさ。ここはみんな恋愛しないからラブソングなんてないよ。ラブソングはエジプトからくるんだ。アラブ語の演歌だよ。みんなエジプトの演歌が大好きなんだ。本当のラブソングだよ。

ある日村で選挙があったんだ。僕はみんなに勧められてリベラル派で立候補した。改革だ!女に人権を!王様特権廃止!なんてね。面白い事に僕の兄は保守派で立候補してるんだ。兄弟で対立だよ。結果はもちろん父さんの保守が勝ったけどね。

モロッコは外国人に取っては素晴らしい所だとモロッコ人に取っては住み難い所だよ。
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by keibunkin | 2008-05-23 18:08 | モロッコ
Ouarzazateで自称ガイドだという若者ととりあえず電話番号を交換した。

私はスパゲッティがもうできてるものと水を買ってレストランに戻った。だけど、まだスパゲッティはできてなかった。いくらアフリカがのんびりペースといっても、これはちょっと時間がかかりすぎ?

マラケッシュに着いたのは夜8時。イクちゃんはもういない。私一人になってしまった。とりあえず泊まる所を探すのに、まずはお気に入りのホステル Equity Pointに戻った。6人部屋のベッドが一つが空いていたのでチェックインをお願いした。
一昨日の夜からシャワーを浴びていない。とにかくバスルームに直行。シャワーからでてきて超快感。綿棒を使って耳の中まできれいにした。ところが、

あれっ?綿棒を耳から抜いたら棒にコットンが付いてなかった。中に入ったのかなあと指をつっこんで見た物の何もでてこない。まあ、その内でてくるわと夕食に出かけた。

電話が鳴った。Ouarzazateで知り合ったあの自称ガイドだ。今日の夜行バスに乗って明日の朝にマラケッシュに来るという。(ほんまかいな?)
まあ、来たら来た時に考えよう。

マラケッシュのメディナ前の広場に大きなバザールがある。夜に成ると屋台が立ち並び大きな食堂街に変身。呼び込み兄ちゃんの激しい観光客奪い合いが始まる。ここでも「日本人ですか?ここおいしいですよ。」と流暢な日本語が聞こえてくる。先日会った日本語の達者なハッサンがまたふらっと現れはしないかと期待したが、誰も現れなかった。

一人モロッコ風の天ぷらを食べた私。コットンの入った右耳がいまだに不快感を与える。お店の人に、「病院ってこの時間でも開いてるんですか?」と訪ねると「24時間営業だよ。」と返ってきた。夜の9時、暇つぶしに行ってみる事にした。仕事中だというのに親切にもお店の人が20分も歩いて病院まで連れて行ってくれた。暗い路地に差し掛かるとまたナイフで脅されるのかとハラハラしたが、その心配もなく病院についた。中まで一緒に入ってくれるという親切を押し切って、私は一人で中に入って行った。

そこは古い学校のような病院だった。受付の人はいなく、警備員らしき人がいた。私と目が合い私が英語で「耳がおかしいから、みてほしい。」と頼むとそこに並んでた人を差し置いて私を先に中の診察室に通してくれた。たぶん彼は英語が全く判らなく、私の対応が面倒くさく思えたんだろう。

診察室の中には白衣を着た先生が3人立っていた。同じように英語で耳のことを伝えると、私の右耳の中をみて「ここでは耳を診る道具がないんだ」と言って別のクリニックを教えてくれた。

タクシーに乗ってその病院に行くと、暗い受付にスカーフを巻いた女性が電話で楽しそうに話をしていた。待つ事20分、ようやく私に注意を払ってくれた。英語が判らない様子だったのでジェスチャーで内容を伝えた。電話を8回ぐらい方々に掛けてくれてようやく中に通してくれた。

耳が悪いというのにベッドに寝かされ、布団まで掛けてくれて待つように言われた。ここまで来たらモロッコの病院状況をじっくり拝見させてもらおうと心の準備。一晩このままこのベッドに寝るんちゃうやろかとさっき払ったホテル代を心配する。待つ事更に半時間。ようやくドクター到着。これからディスコにでもいくのか赤いシャツにて登場。私の右耳を懐中電灯を照らしながら角度を変えて覗いてくれた。で「コットンは入ってないよ。君の勘違いだ。床におちてるんじゃないか?」と言われ、「そんな筈はないわい、ちゃんと診てよ」と強制した。2人・3人と代わり交代に私の耳の中を見て「何もない。」といいきる医者。終いには私の耳の中に水を入れ、チャプチャプさせてから水をだし、「これで耳の中はきれいになった」と言い張る。おまけにびしょ濡れになった耳を拭くコットンさえもなくて、その辺のベッドのシーツで拭き始めた。ああだこうだとかれこれ2時間もいて、私の耳がぜんぜん良くなってないんじゃないの。にっちもさっちも行かないので私は帰る事にした。ここにいると、もっと耳がおかしくなりそうだ。治療費を聞いてみると627DH(60ユーロ)もする?これって、ぜったいボッタクリよ。

翌日朝食後、電話がかかってきた。例の青年だ。マラケッシュに着いたらしい。(ほんまかいな)待ち合わせにモスクの前で会う事にした。行くとほんまにその人は来ていた。(りちぎやなあ)

で、とりあえずホテルの件で私から色々聞きたい事があったので、まず私が泊まっているホテルを見せることにした。

すると、腕を組んで歩き出した。(なんでやねん?)

聞くとメディナの中ではモロッコ人と外国人が一緒に歩く事は禁止されているそうな。警察が外国観光客を狙った悪徳商売を防ぐ為に監督しているらしい。ガイドの免許を持っている人のみに外国観光客と同行するのが許されているらしい。

で、なんで腕を組むねん?

夫婦、婚約者のように歩けば、警察も何も言ってこないそうだ。

なんか、ごっつい都合のええルールやなあ?

もしくは距離を離して歩けば大丈夫。ということなので私達は後者のほうにしてメディナの中に入った。Equity Pointに着くと、彼と一緒に中に入ろうとした。でも明らかにホテルの人は彼に注目している様子。「彼はあなたの友達ですか?」と何度も聞かれた。

ここの国では外国人とモロッコ人とでは待遇に違いがあるのだろうか?

Equity Pointを出た後、メディナの中に一体どれだけのホテル/ホステルがあって、誰がどうやって商売しているのか散策することにした。20−30件ほど見て回った後、不動産屋にも行ってみた。

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収入と支出(労働費、メンテナンス費用)と設立費用を計算するとまんざら悪くない投資率になった。要は良い物件さえあれば、ビジネスになるということ。

内情も内部コネクションもなく、フランス語もアラブ語もできない私より、地元の人に物件を探してもらった方が絶対良いに決まっている。まだ彼がどんな人なのか判らないが不動産探しを手伝ってもらう事にした。

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街を歩いていると彼の従兄弟ヤーヤーに会った。カウボーイ帽子にウェスタンブーツを履いたおしゃれな男の子だった。グランドホテルタジンで一緒にビールを飲み、その後彼と私はプールを打ちにいった。一発打つ事にガキンチョが「僕に打たせて!」とスティックを取って行く。打たせてやると私よりうまい生意気なガキ。プールが終わって外へ出ると、彼がディスコに行こうと誘われた。「おばちゃまはディスコには行かないのよ」と断る。(行ったらおばちゃま、人が変わるかもしれへんもんな)

とりあえず私はホテルに返って寝る事に。

明日は山だ。

彼は従兄弟ヤーヤーの所に泊まりに行った。
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by keibunkin | 2008-05-22 19:30 | モロッコ
マラケッシュに到着。

ここは日本で言うと関西は道頓堀、香港でいうと銅鑼湾。なんか活気があって、わくわくするねえ。まあ、言うて見ると恋の予感がするってことかしらん?

電車の駅で大きなリュックサックを担いだ2人組の女性バックパッカーがタクシーを探しているのに目が止まった。手にしているのはガイドブック。マラケッシュでの安宿情報が知りたくて私達は近寄って行った。泊まり先は決まってるの?メディナまでタクシーをシェアしませんか?と訪ねると二つ返事でOKしてくれた。

メディナに着き、いそいそと彼女達の泊まるホステルについて行った。彼女達が泊まるホステルの名前はEquity Point、スペインにあるホテル会社がオーナーだという。メディナの細い迷路のような路地をぐねぐねと中に入って行った。
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途中鼻っタレちびっ子共が小銭稼ぎに道案内させてくれとくっついて来た。イッチョマエにフランス語を話しやがるガキ共を適当にあしらい更に中に入って行くと、暗い路地の看板も呼び鈴もないドアの前についた。(ここがホテル?まるで秘密の隠れがみたい。)ドンドンとドアを叩くと、中から誰かがドアを開けてくれた。大きな古ぼけたドアの中に入ってびっくりしたのは、ボロボロな外観とは反対に、中は奇麗にお洒落に内装されていた。教会のようなアーチ型の高い天井、上が丸くパルナスの形にくり抜かれた柱、カラフルなモザイクタイル施された中庭の噴水と良く手入れされた植木、天井に吊り下がってあるモロッコランプ、一つ一つの家具や調度品がこの家の中の壁や床にシックリ相性良く溶け込んでいる。私はこのハイセンスにすっかり脱帽してしまった。

宿泊料金を聞いてみると1ベッドが18ユーロ。ラッキーにも部屋が空いていたので私達二人はここに一泊ステイすることにした。

さて、今回の旅行の最終目的地点マラケッシュに無事に到着したことを祝してまずは酒場を探しに。この近辺にはバーやお酒をおいてるレストランはないということなので、少し離れたグランドホテルタジンに行く。そのとき、日本語が流暢なハッサンに会う。(ハッサンはこの後もでてくる)

グランドホテルタジンでビールを注文。TVではスペインマドリッドとサウジアラビアとのサッカーの試合が放映されていた。TV観戦しているとどこからかビールをおごってくれた兄ちゃんもいた。ウェイターのおじさんもみんなニコニコしてくれた。隣のテーブルのモロッコおじさんと話をした。彼は明日からは砂漠とラクダの旅にでるという。「砂漠とラクダの旅?」と心ときめく私。話を聞くと3日間のツアーで、マラケッシュから出発、村や山を訪れた後砂漠でラクダに乗るという。早速イクちゃんに掛け合ってみたが本人はあまり乗り気ではなかった。ビール3本、ジントニック3杯のせいか、私はすっかり「行きたい行きたい」モード。必死の説得の甲斐無く、私一人がそのツアーに行く事になった。

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ということで、その日が二人の旅行の最後の日となってしまった。翌日イクちゃんはスペインに向かって電車に乗り、私は一人砂漠ツアーに出発するのであった。

翌朝私は6時におきて砂漠ツアーの集合所に行った。
14人乗りの4Wミニバンに揺られ、14人の団体一行は南に向かった。中年フランス人夫婦2人、アルジェリア仲良し男3人組、アメリカ人黒人女性とアルゼンチン白人の恋人2人、フランスに交換留学している香港人と台湾人4人。世界一周をしているジャーマン青年1人、カナリーアイランドの男性1人と私1人。そして運転手のモロッコ男性1人。

1日目、Ouarzazateという村に到着。ランチを済ませメディナ見学に。散策途中カナリ−アイランドのキャンデジャに遭遇。二人でカスバ(城)を見学。そして例のごとく絨毯屋さんに連れられて行った。

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その日の午後、イクちゃんよりテキストメッセージが送られてきた。「ナイスなガイドを見つけたので、いまから来る」と。突然の朗報にびっくり!何が彼女をその気にさせたのか?きっとそのガイドに秘密があると見た。しかしながら私達二人の間になんと誤解が生じてしまい、彼女は再びマラケッシュにユータンすることになってしまった。残念!


2日目、赤土のカスバ(城)やメディナを見るのもだんだん見飽きてきた頃、モロッコの畑を見学する事になった。ワインで使われるコルクや、アルファルファと呼ばれる緑色染料となる葉っぱ、ヤシの木に似たデイナ、大麦などなど。ちょっとした心温まるモロッコの田園風景だった。

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丸一日車に乗っていたが、夕方ようやく砂漠に辿り着いた。ラクダさん13頭が既に我々の到着を歓迎すべく砂の上に膝を折って座っており、口をもぐもぐ動かして待っていた。ラクダは私達を背中に乗せると颯爽と立ち上り、カレーパウダーのような砂漠の上を大きな脚で歩いて行った。我々はぐらぐらと身体を前後に揺らされ、振り落とされない様しっかりラクダにシガミツイていった。「あー、楽だー」なーんて誰がいったんだろう?

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1時間ほどゆたゆたと行進して、ようやくラクダが1頭ずつ膝を折ってしゃがんでいき、私達を砂の上に下ろしてくれた。側には分厚い絨毯でつくられたテントが立っていた。今夜はどうやらこの砂漠が私達の宿になるらしい。ラクダ使いのお兄さん達が夕食の支度を始じめてくれた。絨毯の上にキャンドルとタジン(土鍋)とパンがおかれた。中身はチキンと野菜の煮込み。みんなむしゃむしゃ鷲掴みで食べた。お腹もいっぱいになり絨毯の上に寝転ぶと、見上げれば満天の星。何百個、何千個、何万個もある星の砂。(こんなにたくさんの星があるんやから、きっとどれかは地球のような星があって、人間みたいな生き物がいるんだろうなあ。)がんばって流れ星を見ようっと目を凝らして空を眺めた。「あっ、星が動いてる」と思って願い事をすると100回唱えてもまだその星が見える。「なんぼなんでもこんなにスローな流星はないよなあ」と考えないして衛星であることに気がつく。なんだ残念。見ると他にも衛星がたくさんあった。

暗闇の360°の砂漠のトイレで用をすませ、テントの中から毛布を取り出し、私は一人絨毯の上で寝る事にした。空を見上げるとまぶしい満月がいつの間にか昇っていた。おかで満天の星がうっすら消えてしまっていた。

3日目。翌朝5時には目が覚めた。太陽が近いせいかあたりは既に明るくなっている。満月もまだそこにいた。しばらくして皆が起きてきた。一行は再びラクダの背中に股がって来た道を返っていた。

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車に乗ってマラケッシュに向かう。途中休憩した場所も素晴らしくハイセンスのホテルだった。

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行きに着た村Ouarzazateに一行は再び立ち寄った。私とカナリーアイランドのキャンディデで一緒にランチを食べに行った。そこでいろんな話を彼とした。彼は時間とお金を見つけては世界を方々旅してるらしい。14ヶ月も世界中を旅した事があるそうな。

彼が言った。
「もう誰も高くてヨーロッパなんて旅行しないよ。これから北アフリカだ。海があって、天気が良くて、労働力の安い北アフリカがこれからのリゾート地に変わる。」

私な何かモロッコでビジネスチャンスがあるかどうか考えてみた。あんなに素敵なホステルを見たんだもん。

その後、彼が持っているガイドブックを見ながらこれからの私の旅行計画を考えてみた。ここマラケッシュには4000m級の高い山がある。一人でふらっと行ってみようかと思ったが、ガイドが必須と言われた。ガイド料は1日50−60ユーロもする。

私が注文したミートスパゲッティがなかなか来ないので、レストランを出て水を買いに行った。埃っぽい道路を右に折れて店を探した。300m程歩いたが見つからずユータンしてきた。誰かが誰かに叫んでいる。誰かが道路の向こう側から私に叫んでいる。

「what are you looking for?」
「I m looking for water.」(ほっといてくれ、水を探しとるんじゃい)
「we have water here」

彼が立っている店の中を見るとペットボトルが山積みなっていた。
(ほんまや、水があるやんけ)
まんざら嘘でもないようだ。

私は水を買いにその店に入って行った。

彼「旅行者?どこに行くの?」
私「マラケッシュに戻る所。ツアーに参加してるのよ。」
彼「僕はペンキを手伝ってるんだ。近くにホテルがオープンするんだ。」
私「ふーん、ホテルね。あたし興味があるわ。マラケッシュに素敵なホテルを見つけたのよ。ホテルの事情について色々知りたいわ。」
彼「ぼくもこの村でホテルを経営してるんだ。小さいけどね。」
私「ふーん。」(奇遇じゃないの)
私「マラケッシュの近くに高い山があるって聞いたの。私行ってみようかと思ってるんだけど。あなた何か知ってる?」
彼の横に居た友達が「こいつは山のガイドなんだよ。」
私(ほんまかいな)
私「I am talking about a REAL mountain.」
彼の友達「山ならこいつに任せな。こつはロッククライミングのガイドをやってるんだ。」
私「ふーん。」(ほんまかいな)
私「ガイド料はいくらなの?」
彼「君ならタダにしておくよ。」
私「ふーん。」(タダより高いもんはなっていうで)
彼「この辺にはたくさんいい山があるよ。マラケッシュの山より奇麗な所をボクはしってるよ。マラケッシュに返らず、ここから直接行くといい。」
私「(一瞬そうしようかと迷ったが)残念だけど、やっぱりマラケッシュに帰るわ。」
私「あなたがマラケッシュに来るといいのよ。ホテルの話もしたいしね。」
彼「行きたいけど、仕事があるんだ。」

ここOuarzazateからマラケッシュまで260キロ。山道を車で行くと、片道6時間もかかる。

彼は考えているようだった。
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by keibunkin | 2008-05-20 04:31 | モロッコ
いやはや、Nador - Fez - Meknes と続き、いよいよ首都のRabatに着いた。それはそうと、アフリカ着てなんで毎日こんなに寒いねんやろう。もっと南に行かなあかんねんやろうか。私はお暑いのが好きなのに。

Rabatは首都ながらさすがに都会だった。駅の付近には公園があり、国会議事堂らしきパーラメントがあり、造幣局あり、ヒルトンホテルあり、王様のパレスもあった。世界一大きいモスク「モハメッド5世」もあった。観光協会を探したが、2時間タクシーでぐるぐる周ったがとうとう見つからなかった。結局駅前の安宿に泊まる事に。一泊二人で170DH(約15ユーロ)。旅慣れてきたのか、財布の紐が固くなってきたのか、宿泊費用が日々ケチ臭くなっていく。同時に部屋の質もだんだん貧弱になってきた。バスタブもシャワーカーテンもないバスルーム。ドアの代わりに擦り切れた薄い布一枚がぶらさがっている。窓の外を見下ろすとごみ収集所。大通りに近いせいか朝方5時まで車が走る騒音と街路を歩く若者のはしゃぐ声で夜何度も起こされた。

さて今回モロッコに来た楽しみの一つは、ここRabatにあるモロッコ唯一のRabatハッシュ。運動不足な私はもう走りたくて身体がウズウズ待ちきれない。都心より車で小1時間、ライオンが出てきそうな草原にやってきた。集まってきた人達は90%モロッコ人、10%ヨーロッパ人。昔はヨーロッパ人がもっと多かったそうで、聞くとテロの影響でめっきり派遣社員が減ったのと、各領事館より駐在員への外出を控える指令が下ったおかげで、今やすっかりモロッコ人メインのハッシュになったらしい。では禁酒モスレムのノンアルコールハッシュなのかって?どこの国でも同じだが若い世代の人は伝統・宗教離れが多いらしく、酒を飲む人、頭のスカーフを巻かない人、お祈りをしない人など続々と我が道を進むヤングが増えてるそうな。ハッシュの人はもちろんその代表的お手本?約1時間の平坦なモロッコ平原を走リ終え、ビール一気、下ネタありのモロッコハッシュでありました。

ひさしぶりの運動不足とストレス解消ができ、満喫した1日でしたとさ。

翌日はメディナ、博物館、王様パレス、モハメッド王5世の墓、馬の曲芸など周り、こうしてRabatの2日間が過ぎていくのでありました。

そして私達一行は次なる目的地「カサブランカ」に進むのであった。

カサブランカ駅に到着。天気が悪かったせいなのかカサブランカについた日は気温14度の肌寒い日。すっかりモロッコ漂流の旅にもコツを得て、観光協会のお世話も無く駅前近辺に安宿発見。チェックインを済ませ、さっそく観光に街にくりだす。カサブランカと言えば皆さんご存知の映画カサブランカ。名前は知っているのだが私達二人とも映画を見た記憶がなく、さっぱり内容がわからん。となると映画の舞台になったカサブランカを見たとて何の感動もわかん始末。そうなると普通の街でしかないカサブランカ。天気が悪いせいか街まで小汚く見えてくる。他に見るものもなく定番のメディナの土産物屋をぶらついても、売ってるものほとんどが他の街と同じで新鮮味がない。

さすが5つ目の都市になると、なんかだんだん飽きてきた。モロッコの感動が薄れてきたのか、私達二人の会話にも花が咲かないのは気のせいかしら。当初2週間を予定していた二人の旅行、だんだんマンネリ化してきて退屈になってきた。最初の1週間で飛ばし過ぎ?この先のモロッコ旅行に期待できず、そろそろ各々のヨーロッパに帰るとするか?

とりあえず一晩寝て明日の朝、南に行くか帰るかどうか決める事になった。

朝起きると太陽が上っていた。

気を取り直して一行はマラケッシュに出発!

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by keibunkin | 2008-05-18 23:34 | モロッコ
FEZでの1日観光も終わり、隣町Meknesに脚を運んだイクちゃんと私。

FEZから電車で約2時間、古代遺跡があるというMeknesに到着。ここでもFEZ同様メディナと呼ばれる赤土の外壁で囲まれた旧市街地があった。駅の近辺では銀行や、近代ビルが立ち並ぶが、一歩メディナの中に踏み入ると一瞬にして色鮮やかな土壁に取り囲まれてしまう。赤や黄色の何百年昔の粘土で作られた家々が立ち並んでいて、細い路地には人々とロバが他人行儀なく行き交っている。その迷路のようなメディナを歩くと、観光客目当ての土産物屋さんが流暢な外国語で話しかけてくる。

まず私達が何人であるか、当てもんクイズ
「こんにちわ!日本人ですか?」
「ニーハオ?ニーハオ?」
「アンニョハセヨ?」
どれかはひっかかるであろうという魂胆だ。

無視ができない私は気前よく返事を返してあげる。
「こんにちわ!」と返事した暁には自分の生い立ち・家族構成・大学の専攻説明からは始まり最終的には道案内・街案内の通訳ガイドを希望してくる。売り込みはさておき、本当に感心するぐらい皆外国語が上手だ。

中でもおもしろい日本語を聞いた。
「モロッコスバラし、フンコロガし」
「ボッポッポ、ハトポッポ」
「ビンボープライスしてあげる」
「はざまカンペイ知ってる?」
月並みだが「チンポマン子」
などなど。

日本の観光客の皆さん、ちょっとはマシな日本語を教えてあげようではないか。

さてガイドブックもなくMeknesに訪れた私達はまずは観光協会に行き、安宿とMeknesの観光スポットについて資料を得る事にした。

街の中心に行くと、またもやお祈り警報アラームが鳴りだした。路上で何百人もの人が地面に膝をついて座り込んでいる。見ると皆さん男性の人。女性は路上お祈りをしないのだろうか?
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観光協会に辿りつき、地図を入手、安宿については300DH(28ユーロ)で紹介してくれる事に成った。親切にも(?)安宿まで観光協会の方の車でわざわざ御送迎までしていただいた。これは車での会話のこと。運転してるのは20歳そこそこのイケメン君。
ちなみに会話はフランス語。

イケメン君「ようこそ、モロッコへ。モロッコは初めて?君たちはどこから来たの?」とバックミラーを見ながら爽やかスマイル。
私の超ええかげんなフランス語とイクちゃんのスパニッシュ決まり文句1000語で適当に彼と世間話を交わす事約10分。

イケメン君「それで、君たちは友達同士なの?」
友達というフランス語がわからず、「私達はレズビアンなのよ」とでたらめを言った。
イケメン君応答せず。
私「レズビアン、わかる?私達はレズビアンなのよ!」
イケメン君「それはナイスだね。僕は全然へっちゃらだよ。みんな色々なスタイルがあって当然さ。」
イケメン君「それで、今日はこれから観光?夜、よかったら僕がいろいろ街を案内してあげるよ。」
私達は、モロッコの人って本当に親切だなあと感心する。でも、これってひっかけられてるんちゃうの?なーんて自惚れ買い被り?まさか、20歳のおぼっちゃんが私ら40のおばちゃんに声なんてかけてけーへんやんなあ。と平素を装う。
イケメン君「今晩ディスコに行こうよ。」
ディスコやって?私ら大好きドスのよ。昔はよくイクコ嬢と連日連夜ブイブイ謂わしたのドスエ。
イケメン君「ディスコの後は、朝まで楽しもうよ。」
これって、なんか他に意味があるんとちゃうの?
いや、まさかそんな事はないでしょう。
朝まで踊れってことじゃないの?
いや、それ以上の事をしようって言ってるんとちゃう?
私「あのー、君は私達とSEXをしたいってことですか?」
真面目な顔してイケメン君「そうだよ。3人でどう?ぼくはレズビアンとでもかまわないんだよ。」
おやまー、はっきり言うくそ坊主やね。おばちゃんからかうのは10年早いよ。
と、もったいなくお断りする私達でした。

車から降りた二人は、とりあえず世界遺産の一つと言われるボルヴィルス遺跡を見くことに。

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観光の後はモロッコ料理を食べたそうな。
その夜は二人大人しく、安宿に帰って寝たそうな。
でもディスコに後ろ髪引かれる私。
ああーつかの間の青春を垣間見た1日だったなあ。

次よ次ぎ。
再び青春を求めて明日はモロッコの首都ラバットに移動よ!
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by keibunkin | 2008-05-17 01:06 | モロッコ
ナドールのバス停留所からバスに乗り込んだイクちゃんと私。
バスの乗り口まで最後まで見送ってくれたモロッコおばさん。
お別れの挨拶は頬と頬とのキス?と思いきや、その後に口にまでブチュっとキスをしてくれた?
これってモロッコスタイル?それともレズビアン?

道中、隣の席で泣きわめく子供とそのお母さんが2・3度「おえー、おえー」と吐く事を除いては全く快適なバスの旅だった。

夜の7時にナドールを出発し夜中の1時にFEZにようやく到着。たくさん人がいて、ホテルはすぐに見つかるよって言われていたのに、あたりは真っ暗、ぜんぜん人気もないじゃない。バスを降りた乗客もあれよあれよと言う間に皆それぞれの目的地に立ち去り、あっというまに誰もいないバスターミナルに見捨てられた私達。とりあえずホテルを探すかと、とぼとぼ夜道を歩いていく。しばらくすると「ボンジュール!」暗闇からなんやら怪しげな兄ちゃん達に声をかけられる。ここはいきなりフランス語圏。フランス語を聞くととなぜか目がハートマークになる私!若い浮浪者かチンピラもどきの兄ちゃんがホテルに連れて行ってくれるとのこと。夜中の1時にはたまたこれ親切なのか、それとも暗い所に連れられて二人ともナイフでズタズタにされる運命になるのか。イクちゃんはもしもの時に備え、いつでも手荷物を捨てダッシュで走れるようにスタンバイ。まあ、なるようになれよと、二人してチンピラくんについて行った。真夜中の街歩く事約10分。見知らぬ世界に居るせいか見るもの全てがスラム街。怖いと思うと見るも何でも恐ろしい物に見えてくる。(後でイクちゃんが言うには、KKK頭巾を被った人が暗闇に何人も座っていたような。)ようやく灯りらしき物が先に見え「ホテル」と書いた看板を確認。これで一安心。チンピラくん、あなたの事勘ぐるってごめんねと思いつつ、もうちょっとスリルがあってもよかったなあ、チェっと一人身勝手に考える私。鍵が掛かってあるホテルのドアを思いっきり叩いて来客を伝える。中から警備員+マネージャらしき人が「誰やねん、こんな時間に!」とでも思わせるふりでノロノロとドアを開けてくれた。「部屋は全部満室です。」の一言に平手打ちを受けたような衝撃。そのままじーっと立ち伏せていると(じっと見つめる攻撃)、「スイートでよければ空いている」。(早よ言えよ、おっさん。)値段を聞くと650DH(約60ユーロ)。またチンピラくんと一緒に闇の中をうろちょろするのはもういややと言う事で早速「チェックイン」をお願いした。その間じっと外で待っていたチンピラくん、チップを渡すと「メルシー」と言って再び闇夜に消えて行った。

モロッコデコで飾られた広くて豪華なスイートルームに通された。翌日からの観光に胸膨膨らませ、とにかく二人は寝る事に。

そして一夜明けた。
ここから私達のマラソン観光リレーが始まる。
北からFEZ - Meknes - Rabat - Casabranka - Marakechと都会巡り。

まずは FEZ 。
ここでは動物の皮を剥いで一枚一枚いろんな色に染める畑のような所を見た。


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両親のいないオーファントの子供達。
一人もらってもいいですか?と訪ねるとダメと断られた。

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旧市街の中、道に迷って道を尋ねると必ずと言ってまず絨毯屋に連れられて行く。
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マーケットで見た片方しか売ってないサンダル。
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肉屋で見たラクダの頭。


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旧市街を囲む赤土でできた外壁。隣はモロッコの王様モハメッド6世の宮殿。


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楽しいFEZの1日であった。

明日はMeknesだ。

(写真がまっすぐにならないぞ!誰か修正方法しっていますか?)
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by keibunkin | 2008-05-15 16:03 | モロッコ
それはある日突然としてやってきた。

イクチャンと私で行くモロッコの旅。それも適当に行き先を決め、適当に日にちも決めた。
5月12日夜8時。
電話で「やばい、飛行機間違って予約しちゃった。明日やで出発。今から荷造りせなあかん。そういうことで明日ね。」で待ち合わせしたのがスペインのマラガ。

マラガ空港で待ち合わせ。周りはすっかりテキエラムーチョのスパニッシュ語。たまたま私の飛行機が早く着き、イクちゃんのバスが遅く着き、二人が出会ったのが待ち合わせ時間1時間後。なんてこともなく久しぶりの再会を祝福し(といっても3週間ぶり?)、日本人同士ではこんな挨拶はしないなあと思いつつ、とりあえずハグハグと照れながら挨拶を交わし、いざフェリー乗り場に。

大きな船に乗った。マカオ行きのようなフェリーに2時間揺られ、見えるはアフリカ大陸。ヨーロッパからたった2時間でアフリカ到着。早いやん、近いやん。今後ともご近所付き合いよろしゅうに。



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ひゃっほー、アフリカに到着じゃ!

スペイン南島からほんの目と鼻の先。
ええやんけモロッコ、とりあえず遠出がしたかった二人。旅を満喫すべく、いざ船から潔く出陣する。到着したのはアフリカ大陸北端、マリリャ(だっけ、その名前)。

荷造り時間がほとんど無かったため、ガイドブックもインターネット資料もないままやってきた。果たして私達はこれからどこぞに行くもんだろうか。マリリャはまだスペインの植民地、まずはここからモロッコとの国境に。

フェリー波止場から徒歩で10分、バスに乗り更に10分。バスで知り合ったおっさんに連れられて着きました国境地点。

ここでは頭の上に荷物を担いでる女性をみた。裸足で歩いている人もいた。なんかわかれへんけど、みんな急いで歩いてはるようにみえた。道は砂利道、警察に呼び止められひったくりに注意するように言われた。

バスで知り合ったおっさんに誘導され国境も難なく通過し、パスポートに判子をもらった。

「ようこそモロッコ!」

さて、ここからバスに乗ってナダールに行くぞ。
ここは始発、バスの中は空っぽだ。でもドアが開くなり外で待っていた客が一斉に乗り込んだ。そのためドアの入り口に人が詰まってしまって、中に入れない。その後を他の人達が押せど押せどオシクラマンジュウ状態。こんなん私の高校時代以来やね。懐かしく見ていた私、さあ腕まくりでもして自分もこのオシクラマンジュウの中に入る用意をしてたら、イクちゃんがタクシーで行こうと名案を考えた。ちょっと残念な気持ちになったが、まあこの後もきっとオシクラマンジュウはあると期待してタクシーを探した。


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バス停で知り合った頭巾をかぶったモロッコ婦人に世話されて私達は一緒にタクシーに乗った。アラブ語を話すおばさん、親切にも彼女の家にランチに招待してくれた。旅は道ずれ世は情け。せっかくのお言葉に甘え、モロッコおばさんの家に行くのであった。モロッコらしいタイルの壁が四面に施された部屋。椅子もなければ、机もない。タジーンという日本の土手鍋を使った料理を床において、パンをちぎって手で食べる。トイレは青空天井の中、ペーパーの代わりに水を使ってきれいにします。食べる時もトイレの時も全部右利きの私。「右手さんはなんでもできて左手さんよりも偉いなあ。」とおだててあげる。


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食事の後は昼寝。空襲警報のようなアラームで起こされた。聞けばお祈りのタイムだそうです。彼女は生理中なのでお祈りはできないそう。そうでなければお祈りの前に身体を清め毎日何回もお祈りするそうです。こんなん全部ジェスチャーで判り合う私達。TV番組に出たら優勝するなあ。食事に昼寝とすっかり長居をしてしまった私達、そろそろおいとましようと思ったら、モロッコおばさんは「泊まって行け」と。さっきまで他人だったモロッコおばさん、ここの人は本当にいい人なんだわと関心してしまった。

モロッコおばさんの暖かい親切をふるきり、私達は夜行バスに乗ってFEZに行く事に。長距離バスに乗る前にゆっくり用をたしていきたいと、我々はおばさんにトイレ探しを頼んだ。「便秘症なので和式ではだめだと、洋式便座でゆっくりきばらないといけない」と手話で説明し、モロッコおばさんは合点ポース。「本間にわかったんかいなあ。」と連れて行ってくれた場所はこぎれいなカフェ。トイレは男性用と女性用が別々になっており、ちゃんと洋式便座であった。

言葉の壁を越え、モロッコ人の人の良さに酔いしれる二人であった。

はて、これから2週間どんな旅になることやら。
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by keibunkin | 2008-05-14 02:42 | モロッコ